広島高等裁判所岡山支部 昭和30年(う)148号 判決
論旨は原判決判示第二の事実は法令の解釈適用の誤り乃至は事実誤認の違法をおかしている。
即ち刑法第二百二十五条に所謂略取とは人の自由を奪つて実力的に自己の支配下におくことであるから其の目的を達するに必要な脅迫が行われなければならない。すると恐喝罪における脅迫は意思の自由の余裕を残す程度のものであり、強盗罪に於ける脅迫は意思の自由を抑圧する程度のものであることを対比して考えると略取における脅迫は意思の自由を抑圧する程度のものであることを要する。
本件において小林加代子の原審第四回公判廷における同人の証言によると
「三宅豊は良い人だと思つていた。遊びがきれいだつた。」
「三宅豊があんまり頭を下げて言うし、あの時はやむを得なかつた。」
「帳場の人が警察問題になるとあとがうるさいし私が未成年者で後で困るようなことがあるから行つてくれと言はれた。」
「三宅は三月したら連れて帰るからと言うたし警察問題になつたら困ると思つた。」
右の様な言葉がある。
そこで之を綜合的に判断すると、小林加代子は被告人の強要にあつて困惑し其の際何とか拒否しようと思つて帳場に相談した。(或は救を求めた)ところが帳場の人々は却つて小林加代子に丸亀に行くことを勧めたことが明かである。帳場が斯様な行動に出た理由は小林加代子が未成年者であつた為に少しでも紛争のようなものが発生して警察が関与するようなことになれば小林加代子の未成年問題が発覚して営業取消或は停止の憂目を見ることを恐れたからであると信じられる。してみると小林加代子をして丸亀へ行かせたものは被告人の脅迫によるものでなく、この脅迫だけであつたならば拒否し得たであろうのに帳場の人人が自分の利益から勧めたために本件の結果をもたらしたものである。
従つて本件は寧ろ強要罪に近いもので営利拐取であるとは云えないと謂うにある。
(一) そこでこの点について検討すると刑法第二百二十五条に所謂略取とは暴行又は脅迫を手段として他人の意思に反し、その生活環境から離脱せしめ、自己又は第三者の事実的支配の下におく行為であつて、茲に所謂脅迫とは畏怖心を生ぜしむる目的を以て他人に害悪を告知する一切の場合を包含し、其の程度は所論の如く強盗罪における脅迫の如く反抗を抑圧するに足る程強度のものたるを要しないと解するを相当とする。
本件について之を見ると原審第四回公判における証人小林加代子の調書(記録第五三九丁以下)中には論旨指摘の如き供述はあるが、然し同調書の其の他の部分には同女は被告人が通称「現金屋」として世間一般の人が怖れていることを知つて怖れていたこと、被告人も亦自ら同女に対して、「俺は現金屋だ。警察なんか何とも思つていない、警察が現金屋を怖れている。」とか「俺の云うことをきかなければ商売が出来ないようにしてやる」などの威嚇的な言辞を吐いた為畏怖の余り藤広の主人並に帳場の人に救いを求めた旨を供述しており、又救を求められた右の人々が所論の如く同女に対し丸亀に行くことを勧めたことは事実であるとしても、同人等も亦被告人による後難を怖れた為已むなく丸亀行を勧めたものと推測するに難くない。仮に右の人達の勧誘があつたとしても、原判決挙示の証拠を綜合すれば同女が被告人の言動に畏怖した末遂に丸亀に行くことを余儀なくせられたことに変りはないから、原審が之を営利拐取と認定したことは正当であるから原判決には所論のような誤認はない。
其の他記録を精査しても原判決には判決に影響を及ぼす虞れのある事実誤認その他の違法はない。
論旨は理由がない。
検察官の論旨第一点(事実誤認)について
所論の要旨は原判決は昭和二十九年十月三日附起訴にかかる訴因第一の殺人の公訴事実を傷害致死と認定したものであるが、これは判決に影響を及ぼすことが明かな事実誤認の違法をおかしていると謂うにある。
原審が殺人で起訴した事実を傷害致死と認定していることは所論の通りである。
これは結果的に言えば原審が殺意を認定するに足る証拠が無いとみたか又はその証拠が十分でないとみたためではないかと思料される。
従来賍物罪における知情の点即賍物性の認識、殺人罪における殺意の如き犯罪の主観的要件については主として被告人の自白に依り自白のないときは賍物罪の成立、殺人罪の成立が否定されがちの傾向にあつた。然しながら斯る犯罪の主観的要件は自白のみに依存せず自白以外の客観的証拠に重点をおくべきである。即ち当該被告人にして苟も正常な意識を有し反対の認むべき特段の証明のない限り被告人の外形的行為の価値判断乃至状況証拠に依つて犯罪の主観的要件を積極的に認定すべきであることは新刑事訴訟法が被告人の黙秘権を認めた当然の結果といわなければならない。本件について之を見るに被告人が殺意を以て山崎高正を突き刺したと積極的に認め得べき供述は被告人の司法警察員に対する昭和二十九年九月十三日附供述調書中第二八項(記録第四三一丁以下)以外には見当らないようである。
(二) 然しながら先づ第一に被告人が常に護身用として本件犯行の用に供した兇器を所持していた目的について考察すると、被告人は原審で取調べられた証拠によると、一般に現金屋と称して世間の人から特別に畏怖されている三宅一家に属し、同人も亦世間の人から畏怖されているものであるから同人が護身用と云うからには一度これを使用することのある場合には人を殺傷することがあるかも知れないとの意図を有していたものと推察するに難くないこと、第二に右兇器は槍の穂先で作つた刃渡り十糎余の両刃の匕首で優に人を殺傷するに足りるものであること、第三に被告人は山崎高正を刺す前再三同人を取鎮めたが遂に被告人に反抗的態度を示し剰え被告人の腹部を数回殴打(又は突くかいづれか)する等の暴行を加えるに至り、しかもその暴行は衆人環視の裡に受けたもので被告人は著しく激昂の余り(おそらく面目を失した為)前記匕首を取り出したものであること、第四に当時右山崎高正は何等の兇器も持つていたものではないのに拘らず被告人は右匕首を取り出し、刃渡十糎余であるのに之を十五糎余の深さに及んで腹部を突刺したことから考えると被告人は渾身の力をこめて突き刺したものと認められること、第五に傷の部位程度は胃壁十二指腸等を刺切し、上腸間膜動脈等多数の血管を刺切開放し左大腰筋に達する致命的の重傷を負わしめ、遂に其の直後僅々四、五十分間の内に死亡するに至らしめていること、など被告人が右匕首を平素所持していた目的、匕首の性能、それを使用するに至つた直接の動機、突き刺したときの状況、刺傷の部位程度を仔細に観察すると、苟も正常なる意識を有するものである限り何人も其の結果が単に人を傷害するに止り、死の結果については全く予見し得ないものとは到底認めることはできない。
しかも被告人は当時飲酒酩酊していたわけでもなし、其の他正常な判断能力に溷濁をきたしていただろうと推測さるべき特別の事情をも見当し得ない。
斯く観察すると前記被告人の司法警察員の面前における殺意を肯認した趣旨の供述は被告人の当時の心境を如実に表明し、且つ前記客観的諸事情に合致する供述であつて全く措信するに足るものであると認めることができる。
然るに原審はこれ等主観的並に客観的の証拠を排斥して被告人の殺意を否定して傷害致死と認定したことは証拠の価値判断並に取捨選択を誤つて事実を誤認したものであつて、この結果は判決に影響を及ぼすことは明かである。論旨は理由があり原判決はこの点に於て破棄を免れないから其の余の双方の論旨に対する判断を加えない。
仍つて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条に則つて原判決を破棄し同法第四百条但書の規定に従つて更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、昭和二十九年二月頃玉野市日比九百十三番地特殊飲食店「藤広」こと藤田光雄方に登楼した際同店で接客婦として従業中の京子こと小林加代子(昭和十一年八月二十五日生)と相知り、爾来同女を相手に遊興を重ねるうち同女と馴染客の関係になつたところから、同女に対しては万事自己の欲する侭に要求を容れさせて然るべきものと軽々に独り決めして、生活費を捻出するため同女を丸亀市福島町三十二番地特殊飲食店「錦酔」こと今田愛子方に住替えさせることにより周旋料等を領得しようと企て、同年七月中旬頃予め加代子に対し「丸亀にある自分の経営の遊廓に住替えれば客筋もよいし何かと融通がきく」等言葉巧みに住替えを慫慂しておいた上、同年八月五日朝前記「藤広」に赴き同日午前十時頃から午後四時頃迄の間執拗に同女につき纒つて前記住替えの実行を迫り、其の間同女が繰返し右申し出を拒否し続けているにも拘らず「お前が行かないなら今後商売ができないようにしてやる」「自分は現金屋だから警察など恐しくない」等と語気荒く申し向けて同女を脅迫し、其の激しい気勢に畏怖した同女をして已むなく右「藤広」を立ち出でさせ同日夕刻頃同女を前記「錦酔」こと今田愛子方まで連行し以て営利の目的で同女を略取した。
第二、第三、(省略)
第四、昭和二十九年九月十日頃から児島市味野三千九百五十九の三番地バチンコ遊戯場「銀座」に於て同店の経営者城本昌男の依頼により臨時に店舗の取締警戒の仕事を担当していたが、日頃同店において従業員等に因縁をつけ或は大声で騒ぎ立てる等して従業員や遊戯客等から迷惑がられていた山崎高正(当時二十六年)が同月十二日にも午前中から同店に出入りして被告人その他従業員の再三の制止説得にも拘らず同人に対し無理な要求を吹きかけそれが容れられないと怒声を張りあげ果は刄物を手にして威嚇的態度に出る等粗暴な振舞を重ねてやめようとしなかつたので同日午後五時五十分頃被告人において已むなく店舗外に連れ出さんとしたところ、却つて衆人環視の裡で同人から手拳を以て腹部等を数回連続強打された為痛憤し激昂の余り突嗟に殺意を生じ同所に於て矢庭に所携の刄渡十糎余の両刄の匕首(槍の穂先を研いで作つた手製のもの)(証第一号)を振つて右高正の腹部めがけて突き刺し、同人の上腹部に腹腔内で胃壁、十二指腸等を刺切し、上腸間膜動脈等多数の血管を刺切開放し左大腰筋に達する深さ十五糎余の刺切創を負わせ因て右高正をして同日午後六時三十分頃児島市味野千六百九番地児島市立病院に於て右上腸間膜動脈等の刺切開放に基く出血に因り死亡するに至らせた。
第五、(省略)
ものである。
(裁判長判事 宮本誉志男 判事 浅野猛人 判事 菅納新太郎)